未成年者や認知症の相続人がいる相続は複雑になる
遺言書がない相続では、遺産分割協議を行い、相続人全員の合意によって相続方法を決定します。この原則は、相続人の中に未成年者や認知症、知的障害のある方が含まれている場合も変わりません。しかし、これらの方々は単独で遺産分割協議に参加することができず、適切な法定代理人の関与が求められます。
遺産分割協議ができない・行っても無効になる
相続人に未成年者や認知症の方がいる場合、これらの方を除外して遺産分割協議を行うと、その協議自体が無効となります。しかし、単に協議に参加させれば有効になるわけではありません。例えば、18歳未満の未成年者は、民法上、法律行為を適切に判断する能力が十分ではないとみなされており、単独での財産処分が認められていません。未成年者が遺産分割協議に参加する場合、親権者などの法定代理人の同意が必要となり、同意を得ずに行った協議は、後に未成年者本人や法定代理人によって取り消される可能性があります。
一方で、認知症や精神疾患により意思能力を欠く方も、単独で法律行為を行うことはできません。このような状態の相続人に遺産分割協議書への署名を求めても、その行為は無効となります。また、意思能力を欠いた状態になった後では、弁護士や任意の代理人を選任することも困難となるため、家庭裁判所を通じて成年後見人の選任を検討する必要があります。
意思能力のない本人に代わって署名押印すると法的責任を負う
意思能力を欠く相続人の代わりに他の者が署名・押印を行うことは、その行為自体が無効となります。例えば、認知症の母の代わりに子どもが代筆して遺産分割協議書に署名・押印しても、正式な成年後見人でなければ協議は無効です。それだけでなく、意思能力が欠けていると認識しながら代筆した場合、刑事上および民事上の法的責任を問われる可能性があります。
まず、刑事責任として、意思能力を欠く者の名義を冒用して押印し手続きを進めると、有印私文書偽造罪(刑法159条1項)、同行使罪(刑法161条1項)、公正証書原本不実記載等罪(刑法157条1項)に該当する可能性があります。このように重い刑事責任を負うことになりかねません。
また、民事責任として、無権代理行為に該当し、代理権のない者が本人の名前で勝手に署名・押印したことを理由として、遺産分割協議の履行責任や損害賠償責任を負うことになります(民法117条1項)。東京高裁平成12年11月29日判決では、いわゆる「署名代理」の方法による代理行為であっても、無権代理責任が生じることを認めています。つまり、意思能力のない本人に代わって遺産分割協議書に署名押印すると、協議が無効となるだけでなく、刑事・民事の両面で重大な責任を負うことになりかねないため、注意が必要です。
「このようないわゆる「署名代理」の方法により代理行為がされた場合であっても権限なく代理行為をした者が無権代理人としての責任を問われることは代理人であることを表示して代理行為をした場合と異なることはない。」
意思能力とは?
法律行為が有効となるためには、その当事者が自身の行為による法的な権利義務の変動を理解する精神能力、すなわち「意思能力」を備えていることが求められます。意思能力が欠けた状態で行われた法律行為は、初めから無効となります。
高齢者の精神的能力は、加齢、個人的資質、環境などの影響を受けるため一律に判断できるものではありません。また、意思能力の有無は、法律行為の内容の難易度や重要性などにより個別に判断される必要があります。認知症の診断があったとしても、それが直ちに意思能力の欠如を意味するわけではなく、軽度の認知症であれば意思能力が認められるケースもあります。
相続人に認知症の疑いがある場合は、医師の診察を受けたうえで意思能力の有無を慎重に判断することが重要です。一般的には、改訂長谷川式認知症評価スケール(HDS-R)、ミニメンタルステート検査(MMSE)、Mini-Cogなどの認知機能テストの結果を参考にしますが、スコアのみで意思能力を判断できるわけではありません。判断が難しい場合には、医師の意見を踏まえたうえで、弁護士に相談し適切な対応を検討することが望ましいでしょう。
遺産分割協議には特別な手続きが必要
相続人に未成年や認知症の方がいても、遺産分割協議の成立には相続人全員の合意が必要です。
そのため、これらの方がいる時は法的な手続きを行って遺産分割協議を行わなければなりません。
未成年が含まれる場合は法定代理人または特別代理人
相続人が未成年の際は、親権者や未成年後見人が法定代理人として遺産分割協議に参加します。
この場合は原則として、親権を有する父及び母が法定代理人となります。
ただし、父母も相続人というケースでは、特別代理人の選任(後述)が必要です。
認知症や知的障害のある方の際は成年後見制度か特別代理人
認知症や知的障害で意思能力が欠けた方が相続人というケースでは、成年後見制度を利用して後見人が参加するか、保佐人・補助人の協力を得て本人が参加します。
ただし、こちらも後見人が相続人というケースでは特別代理人の選任が必要です。
成年後見制度とは?
成年後見制度は、認知症、知的障害、精神疾患などにより判断能力が欠けていたり不十分な方を法律的に保護し、支援するための制度です。この制度では、家庭裁判所が選任した後見人、保佐人、補助人が本人の能力に応じて本人に代わって(または本人とともに)財産管理や法律行為を行い、本人の生活や権利を守ります。遺産分割において判断能力のない相続人が含まれている場合には、その方が適切に意思決定できるよう、成年後見制度の利用が求められます。ただし、後見人の選任は家庭裁判所の判断に委ねられるため、親族が希望する人物が選ばれるとは限らない点に注意が必要です。
また、判断能力が低下する前に、自ら信頼できる後見人を選んでおく方法として任意後見制度があります。これは、公正証書で後見契約を結び、将来判断能力が不十分になった際に任意後見人が支援を行う仕組みです。任意後見契約を締結しただけでは効力は発生せず、家庭裁判所に任意後見監督人の選任を申し立てることで正式に開始されます。
すでに判断能力が著しく低下している場合には、法定後見制度を利用し、家庭裁判所を通じて後見人を選定する必要があります。ただ、特に遺産分割協議に関係する場合、後見制度を利用することが必須となる一方で、手続きの煩雑さや費用負担の問題も生じます。遺産分割協議において成年後見制度の利用を検討する上では以下の注意点についても把握しておきましょう。
遺産分割協議において成年後見人を選任する際の注意点
誰が成年後見人となるかは家庭裁判所の判断次第
未成年者等の欠格者でなければ、特別な資格なく成年後見人になることが可能です。ただ、成年後見人の選任については、家庭裁判所が最終的な判断を下します。候補者として親族を推薦したり、実際に親族が後見人になることも可能ですが、遺産分割協議を円滑に進める目的で後見人を選任する場合や、紛争の可能性があるケースでは、弁護士や司法書士などの専門職が選任されることが多くなります。専門職後見人は、本人の財産管理を最優先とするため、親族の意向とは異なる判断をすることもあります。
申立の際に鑑定費用が必要となる
後見についての審理を行うにあたり、通常、裁判所は本人の精神状態の確認のために医師による鑑定を命じます。家庭裁判所裁判官が診断書を含む申立書類の内容を検討し、明らかに鑑定の必要がないと認めた場合は鑑定をせずに審判をすることもありますが、そのような場合でない限り、本人について鑑定を行うことになります。医師による鑑定は一般的に5万円から10万円程度に収まることが多いです。選任がなされれば後見人等から精算を求めることができる場合が多いですが、遺産分割を進めるためだけに鑑定費用を支払う必要があります。
専門職が後見人となった場合には継続的な費用がかかる
さらに、専門職後見人が選任された場合、後見人の職務に応じた報酬が発生します。報酬額はケースによりますが、一般的には月額3万円から5万円程度となり、本人の財産から支払われます。後見制度は一度開始されると原則として本人が死亡するまで継続するため、遺産分割協議が終了した後も後見人の職務は続き、長期間にわたり報酬の支払いが必要になる可能性がある点に留意しなければなりません。
後見人が選任されるまでに時間を要する
上記の通り、後見人を選任する際には医師による鑑定が必要となります。専門医の受診を受けた上で鑑定意見書を作成してもらわなければならないため、数か月を要することもあります。また、後見人に財産管理を委ねることができるように、本人の財産状況の調査や資料提出が求められます。これにも時間を要するため、後見を申し立てると決めてから、後見人が選任されて活動を開始するまでに数か月から長くて半年程度要することもあります。
精神状態が回復しない限り永続する
成年後見制度は基本的に本人の意思能力が回復しない限り終了できません。遺産分割協議を目的に後見人を選任し、その協議が完了した後も後見制度は存続し続けるため、結果的に長期的な費用負担や手続きの煩雑さが発生することになります。
成年後見制度は、判断能力の低下した方の財産を保護するために重要な制度ですが、一度開始すると長期にわたる影響が生じるため、利用する際にはそのメリット・デメリットを十分に理解し、慎重に検討する必要があります。遺産分割協議を進めるための手段として成年後見制度を検討する場合は、後見制度が及ぼす影響を十分に考慮した上で、弁護士などの専門家に相談することを強くおすすめします。
特別代理人制度とは?成年後見人制度との違い
特別代理人制度とは?
特別代理人制度は、未成年者や成年後見人が代理する被後見人が相続人となる場合に、利益相反を避けるために一時的に代理人を選任する制度です。例えば、未成年者が相続人の時、法定代理人として親権者が遺産分割協議に参加します。しかし、親権者も相続人というケースでは親と子の利益が相反するので特別代理人の選定が必要となります。これは、親権者や後見人が自身の利益を優先して未成年者や被後見人の不利益を招くことを防ぐために設けられています。
特別代理人と成年後見制度との違い
成年後見制度との違いは、成年後見制度が本人の財産管理や生活全般にわたる支援を継続的に行うのに対し、特別代理人は利益相反などの限定された場面において、一時的に選任される点です。そのため、特別代理人は遺産分割協議が完了すると役割を終えます。
特別代理人を選任が必要なケース・不要なケース
特別代理人を選任が必要なケース
特別代理人の選任が必要な典型的なケースは次の通りです。
・被後見人と後見人が両方とも相続権を得ている
・未成年の子が2名以上おり、両方とも相続人となっている
親と子、被後見人と後見人が両方とも相続人というケースでは、親と後見人が代理で遺産分割協議に参加すると子・被後見人が不利益を被りかねないため特別代理人が必要です。
また、未成年の子が2名以上いる場合でそれぞれ相続人となっている場合には、例えば両親が双方の法定代理人となると子ども同士の間で利益相反関係に立つことになるため、特別代理人が必要になります。
利益相反以外で特別代理人が選任できる可能性があるケース
特殊な事例ではありますが、以下のようなケースでは、特別代理人を選任できる可能性があります。
・相続人が行方不明だが相続財産管理人が選任されていない
成年後見人制度や相続財産管理人は選定に時間や費用がかかり、相続手続き後も継続します。一方、特別代理人は特定の手続きのために選任されるため、相続時のみの代理で済むという利点があります。そのため、状況によっては、成年後見制度を利用するよりも特別代理人を選任する方が適している場合もあります。
ただし、利益相反のないケースで特別代理人を選任できるかどうかは、家庭裁判所の判断に委ねられます。選任の必要性を示すために、過去の判例等に照らした法的な議論が求められる可能性があるため、このような場合において特別代理人の選任を検討する際には、弁護士に相談することを推奨します。
特別代理人が不要なケース
特別代理人の選任は、法定代理人と本人(未成年者や成年被後見人など)の間に利益相反が生じる場合に必要となります。そのため、未成年者が相続人であっても、親に相続権がなければ利益相反の問題が生じないため、特別代理人を選任する必要はありません。また、親にも相続権がある場合でも、親が相続放棄をしている場合には、親が未成年者の法定代理人として遺産分割協議に参加できるため、特別代理人は不要です。
同様に、成年後見人がいる場合でも、その成年後見人を監督する成年後見監督人がすでに選任されている場合には、後見人の活動を監督することが可能であるため、原則として、特別代理人を選任しなくても手続きを進めることができることとされています。
特別代理人の選任方法と手続き
特別代理人の選任は家庭裁判所への申し立てが必要です。
申し立て時には候補者を推薦できますが、候補者が必ず選ばれるわけではありません。
後見と同様、候補者がいない・推薦者が適切ではないと判断されるケースでは弁護士や司法書士といった専門職が選任されることが多いでしょう。
未成年や認知症の相続人が場合は弁護士に相談しよう
相続人の中に未成年者や認知症の方がいる場合、遺産分割協議を進めるためには法定代理人や特別代理人、成年後見人の選任など、通常の相続手続きとは異なる特別な対応が求められます。刑事・民事上の厳しい責任を問われるリスクもありますので、適正な手続を経ずに事情の分からない相続人に署名させて進めることは推奨できません。専門的な知識を持つ弁護士に相談し、適切な代理人の選任や手続きの進め方についてサポートを受けることが重要です。
また、相続発生後の対応だけでなく、将来の相続に備えて事前の対策を講じておくことも有効です。特に、相続人の中で、認知症の発症リスクがある場合は、遺言書の作成や任意後見契約の活用を検討することで、相続手続きをスムーズに進めることができます。未成年や認知症の相続人がいる、または将来的にそうなる可能性がある場合は、早い段階で弁護士に相談するなどし、準備しておくことをおすすめします。